最終更新:2024/02/18
がんサバイバーとなって1年、生き続けていられる事への感謝を込めてのまとめです。
★ 重要 ★
ここに書かれている情報は私の体験です。
病院関係者の方々、会社の仲間、Twitterでつながってくださっている方々、親族、家族、私の生存に関わってくださった全ての方々に感謝申し上げます!
訂正
2023/02/05 ・・・ がん発見のきっかけを1月10日(月)が始まりとしていましたが、妻からの指摘で2022年1月2日に訂正いたしました。また、「半夏瀉心湯」の味を確認したことを追記しました。
髭を剃る際に首の右側の顎の下あたりに大きな腫れ(塊)を発見したためです。お正月期間ということと、何か菌でも入った?程度に考えていたので、数日で腫れは引くだろうと思っていました。
1月10日(月)
腫れ(塊)は以前として消えませんでした。触っても痛みも何もなく不気味に感じでした。大きさはゴルフボールが埋まってる感じ。ただ、息苦しい・発熱などの症状はまったくありませんでした。
1月11日(火)
"かかりつけ医"を受診したところ"耳鼻科"に行くように言われたので、自宅近くの耳鼻科へ直行。近くの耳鼻科では「ここでは、この症状の原因を見つけられないので本院へ」と言われて、その耳鼻科の本院へ移動して診察を受けました。
本院とは耳鼻咽喉科麻生病院で入院設備もある大型の耳鼻咽喉科専門病院です。
初期の検査は?
耳鼻咽喉科麻生病院で受けた検査は、1月11日に「血液検査」「穿刺吸引細胞診(1回目)」「超音波検査」で、「細胞診」では首に針を刺すので、ちょっとビビりましたがチクっとした程度で痛くはなかったです。
耳鼻咽喉科麻生病院 ホームページより
1月20日(木)
耳鼻咽喉科麻生病院に検査の結果を聞きに受診しましたが原因は分からず、しかし腫瘍マーカーCYFRA(シフラ)値が若干高めと言う結果でした。
原因が不明のため「造影CT」「穿刺吸引細胞診(2回目)」を行いました。
1月21日(金)
「造影CT」の結果でも原因は不明。まだ「穿刺吸引細胞診(2回目)」の結果は出ていませんでしたが、他の可能性をつぶすために「結核の血液検査」を追加で行いました。
1月28日(金)
「結核の血液検査」の結果で結核ではない事、「穿刺吸引細胞診(2回目)」の結果で悪性腫瘍の可能性がある事(クラスⅢb)、そして大きな病院での診察が必要なことの説明を受けました。
先生から「斗南病院か市立病院(正式には、市立札幌病院です)のどちらかを紹介しましょうか?」と聞かれたので、「市立病院で」とお願いをしました。理由は、市立病院の方が車で通いやすいと思ったからです。
次の段階 (市立札幌病院)
1月28日(金)の続き
耳鼻咽喉科麻生病院からの紹介状と検査データ(CD)をもって、市立札幌病院の外来に入りました。ここからは、市立札幌病院での話になります。
耳鼻咽喉科で「ファイバースコープ」「触診」「血液検査」「画像診断(麻生病院からのデータ)」を行いました。診察の結果、ここで初めて「原発不明がん」と言う病名を知りました。
ただこの時は、この「原発不明がん」と言う病気の危険性をまったく理解していませんでしたし、軽く何かの間違いだろうぐらいに思っていました。なにせ発熱もなければ痛みもないので、危機感がまるでありませんでした。
時事メディカル
2月1日(火)
「PET/CT-FDG検査(通称ペット検査)」を受けました。このペット検査を受ける理由が診療明細に書かれていました(初めて"原発不明がん"の文字を見て、聞き間違いじゃなかったと認識します)。
2月3日(木)
「ペット検査」でも原発巣を特定できませんでした。「穿刺吸引細胞診」「上部消化管内視鏡検査」を受けます。「上部消化管内視鏡検査」の結果はその場で「問題ありません」で、あとは「穿刺吸引細胞診」の結果待ちでした。
2月7日(月)
担当の先生から電話があり「細胞診の結果、悪性腫瘍で間違いありませんでした。"がん"です。」と・・・いや、普通は奥さんと一緒に病院で・・・とか言うんじゃないの?いきなり電話で言う事?ま~私には合ってるか。疑問符は湧きましたが、緊急性があるんだろうなと思いなおして、先生の話の続きを聞きます。
「治療方法としては手術+化学療法、手術のみ、化学療法のみの選択がありますが、どれにしますか?それぞれ、メリットとデメリットがあります。etc」って言っていることが頭に入らず「一番確実に癌を消せる方法で・・・」としか言えずでした。
「では手術など治療の打ち合わせをしますので、明日来院できますか?」と・・・ここまで明確に"がん"を告げられたので、明日もいつも通りで一人で受診しよう。
原発不明がん診療ガイドライン(改訂第2版)
実は、この「何月何日に何をした?」のまとめ記録は、この2月7日のがん宣告をきっかけに記録を開始しました。自力で調べた結果、原発不明がんと診断されるケースは少なく希少がんに該当し、予後は明るくないと分かったので、万が一の事態になったとしても記録を残しておけば何かの役にたつかな?・・・と思ったからです。
北日本頭頸部癌治療研究会 第19回 原発不明頸部リンパ節転移癌
原発不明がんは、調べれば調べるほど"良くない情報"しか見つけることができず、最悪の場合は余命 2カ月しか持たない?雪解けまで持たない?長くても6~12カ月? 5年生存率はほぼゼロじゃん・・・と、ヤバすぎる情報しか見つけられず、変な言い方ですが"諦め感"が強く出てしまって、これで“終わりか”と意外と冷静でした。
2月8日(火)
手術に向けての「血液検査」「細胞診」「胸部X線」「心電図」「呼吸機能検査」と検査を行いました。
診察前に看護師さんから「ご家族は?」と聞かれて「連れてきた方がよかったです?もう癌だって聞いているので、一人で良いかと・・・」と、何とも噛み合わない会話をしてました。
先生に「ちなみに、がんのステージは?」と聞くと「原発不明がんにステージはないんですよ。原発が分からないので設定が無いんです。強いて言うなら、既にリンパ節にがんが転移している状態なので"ステージ4"です。ただ、口蓋扁桃(扁桃腺)が原発巣だった場合は、"ステージ2"です」との事。
妻には言えない。ステージ4なんて絶望的に聞こえちゃって。義母は癌が原因でこの世を去っているので、とても言えない・・・
でも、既に妻は"原発不明がん"を調べまくっていて、相当落ち込んだようですが、そんな様子は一切私には見せていませんでした。
2月10日(木)
妻と一緒に病院へ。先生が手術の話(術式や内容、リスク、後遺症の可能性など)や化学療法のみでの治療などの選択肢を、丁寧に説明をしてくれました。最終的に選択したのは「手術 + 化学療法」でした。なお、手術の予定時間は7時間とのことで長くない?と思いました。
また「同時に行うと術後に辛い痛みを伴いますが、右頸部郭清術と同時に両方の扁桃腺の摘出と、ランダムな細胞摘出も行いましょう。運よく扁桃腺に原発があれば、がんを摘出してしまう事ができるし、その後に化学療法を行えば、がんを根治できる可能性が高くなります。ただ、術後は本当に痛いですがやりますか?」との問いに、「やります!根治の可能性が高い事はすべてやります!化学療法もやります!」と言い切ったのですが、手術後の目覚めたとき、マジで言わなきゃよかったと全力で後悔することになります。
この日は、手術で気管内挿管を行うので口腔内をきれいに保つ必要があるということで(感染症防止の観点など)、口腔外科を受診し「パノラマ撮影」を行って、歯周病のチェックや歯磨き、舌苔の落とし方などの指導を受けました。また、気管内挿管時に歯を守るマウスピース(気管挿管用口腔内装置)も作成しました。
以下の論文紹介にも書いていますが、"口蓋扁桃摘出術は高い原発腫瘍検出力(34%)があることが示されました。"とあります。私の場合、このケースにハマってくれたようです。
論文紹介:原発不明頭頸部扁平上皮癌の鑑別診断における口蓋扁桃摘出術の役割:システマティックレビューとメタアナリシス
どんな手術をした?
「右頸部郭清術」「両口蓋扁桃摘出術」「喉頭直達鏡検査・喉頭組織試験採取」を同時に行いました。
2月17日(木)
コロナ禍なので、入院前にPCR検査を受けて、陰性が確認されてからの入院。
先生から「しばらくは美味しいものは食べられないので、ゆっくりと夕食を味わって食べてくださいね」と言われました。この時の「しばらく」が、数カ月間にもわたるとは思ってもいませんでしたが・・・
病室からの眺め
完全に味が分かる状態での最後の夕食
2月18日(金)
手術当日。手術は9時開始で、目が覚めたのが19時ちょい前ぐらい。
朝は病室から手術室まで看護師さんと一緒に徒歩で移動。手術室手前の待機場所?に多数の患者さんがいて、一人ずつ名前と手術内容を確認してました。私も確認を受けて手術室へ。
手術室の扉が開いて驚愕!!!凄い人数!何人で私の手術をしてくれるの?
それじゃ~麻酔入りますね~ うっ、頭の中が熱い!顔面が熱い!なんだ?吐きそう・・・ここから記憶なしです。
原発不明がんって助かるの?
多くの論文や病院の出している情報では"予後不良が多い"と書かれています。しかし、原発巣が見つかれば原発不明がんではなくなり、適切な治療を受けられます。また、検査の方法も日々進歩しているので、原発巣を見つけられる確率は日々向上していると思います。ただ、"既にがんが転移している状態"なので、のんびりと様子見している事はできないと私は思いました。
順天堂医院 耳鼻咽喉・頭頚科 原発不明癌
手術後の痛みはどうだった?
全身麻酔だから目が覚めてスッキリしているのかと思ったら大間違い!
目が覚めたとたん、呼吸ができない感じで非常に苦しいし(SpO2は正常な範囲)、頭は体験したことのない強烈な痛みだし、先生に「根治の可能性が高い事はすべてやります!化学療法もやります!」なんて言わなければよかった!と、全力で思いました。以下、その時に思ってたこと・・・"泣き言"と言います。
・手術取り消し!!!!!言わなかった事にして!時間を2月10日に戻して!
・本当に息が吸えてる?生きてる?手術後の状態、これで正しいの?
・あの世にいる親に「苦しすぎ!どうでもイイからそっちに連れてって!」
・動けない!苦しい!ヤバいって!こんな苦しいの?手術ってヤバすぎ!
・自分の口の中どうなってるの?唾液が無い!声が出ない!うめき声しか出ない!
・唾液を止める薬でも打たれた? (看護師さんに聞いたら、そのような薬は無いと)
・両足についている重りみたいのは何(後に"フットポンプ"と知ります)?
・口の中が乾く!酸素マスクを外したい!あと3時間だと!1分って、こんなに長い?
・早く水を飲みたい!口の中が乾いて喉が引っ付く!苦しい。
こんな状態でも看護師さんは、優しい言葉をかけてくれるし、何とか私の言っていることを理解しようとしてくれるし、身体の向きを変えてくれるし、身体を起こしてくれるし、水を飲ませてくれるし・・・本当に全力で感謝しています!!!
痛み止めを入れても頭痛が取れず、身体を横にすると頭痛が激しくなると分かったので、結果的にはベットの上で胡坐をかいてました。そして、明け方に"この世のものとは思えない綺麗な幻覚"を見ていました。画力があればな~
尿道カテーテル、痛くない?
入れた時は全身麻酔後なので覚えていないのですが、カテーテルが入っているときに痛みは感じませんでした。また、カテーテルを抜く際も痛みはありませんでした。
ただ・・・抜いた後の排尿時、強烈な痛みで最初は排尿ができませんでした。痛すぎでしょ。痛みが取れるまで3日近くかかりました。
手術後のリハビリは?
このような資料をもらって、自分のペースで進めていました。退院する事には両腕を上げることができるようになっていました(もともと、四十肩や五十肩ではなかったので、両腕を上げて伸ばしていました)。
頸部郭清術後に行う体操 (患者指導用パンフレット) - 一部分
後遺症は?
手術から一年経過しますが、PCの画面をのぞき込むような姿勢で数時間の仕事(休憩を取らずに)をしていると、背筋から震えがくるような悪寒と痛みが走り、30分ほど横にならないと治まらない状態になります(痛み止めの服用のみで治まるときもあります)。大丈夫なときは夜遅くまで仕事をしても、この症状は現れません。そのため、はっきりとした原因は分かっていません。
また、以前にも増して頭痛が頻発するようになり、痛み止めを手放せなくなっています。ただ、痛くて眠れないといった状態は回避できています。
加えて眩暈が強烈になりました。この症状も起きない時は起きないし、一回起きるとヤバイと言う感じです。
日常生活は問題なく過ごせてますし、重労働な除雪作業もできてきます。休憩や姿勢の確認を怠ると上記のような症状に襲われるため、注意しながらの生活となっています。
ちなみに右顎辺りの感覚は、術後よりははるかに改善していますが、まだ戻っていません。髭剃りの際、とても変な感覚が1年たった今でも続いています。
2023/06/29、07/01、10/14 追記
上記のような症状もかなり改善されてきて、かなり以前のような生活ができるようになっています(休憩をとるようになど、色々と注意はしています)。
右顎あたりの変な感覚と、首のツッパリ感は残ったままです。傷跡は私的には余裕で綺麗で気にならない状態です (下の写真、保湿ケアをサボっているのが丸わかりですね)。
2023/10/14 |
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この右顎の下(写真だと左)の凹みに肉がつくことはあるのだろうか・・・
2024/02/18 追記
手術を受けてから、ちょうど2年後の傷跡です。皮膚のツッパリ感、若干の痺れは残ってるものの、生活・仕事・除雪作業などなどへの影響はありません。
2023/09/05 追記 その1
すっかり忘れていましたが(当たり前になっていて忘れてました)、「声を使いすぎると、声が出なくなる」と言う症状が残っています。仕事で2〜3時間ほど打ち合わせをしていると、夜はかなり声が出づらくなります。
放射線治療の開始直前の内視鏡で、声帯の周辺にコブが2つほどありましたが先生曰く「手術の後遺症かな〜 しばらくすれば無くなると思うよ」の通り、3ヶ月ほどでコブは消えました。そして声も出やすくなりました(手術前に戻ったわけではないです)。
手術後と比べたら余裕で普通に会話できます。ただ、調子に乗って話しすぎると声が出なくなります。でも、一晩眠れば回復するので、あまり悩んではいませんでした。
そう言えば、普通に飲みに行くようにはなったけど、カラオケは試してないですね。どんな声になっているのか?興味はあるけど、あと半年は大人しくしてよう・・・
どのくらいで退院できた?
入院から退院まではこんな感じです。12泊13日でした。
22日(火)にドレインが外れたので、そこからはベット上でのリハビリを開始して(それまでは、フロアを散歩する程度)、ノートPCで仕事を開始してました。ただ、最初は右腕を動かすことが辛くて、休憩をしながら仕事してました。
いつ中咽頭がんと判明した?なんで分かった?
3月10日(木)、「原発不明がん」から「中咽頭がん(HPVが発生要因)」に診断名が変わりました。これは手術で「両口蓋扁桃摘出」で摘出した中に原発巣が見つかったからで、手術を行ったのが2月18日なので、約3週間後に結果が得られたとなります。
「中咽頭がん」と判明したことで、5年生存率が爆上がり!
この日は、この上記の話の後に根治を目指した化学療法の話などを聞きました。
帰りの駐車場の車の中で「これで生きていられる!」と言う感情が湧いてきて、妻と2人で大泣きしたことを覚えています。中咽頭がんと判明して大喜びするのも変なのですが、原発不明がん・予後不良からの脱出は、本当にうれしかったです。
放射線治療は痛い?苦しい?
「右中咽頭がん、右頸部リンパ節転移」として放射線治療科を受診し、どのような治療を行うかなど、これからの治療についての説明を受けました。
この段階では、 まだ抗癌剤と放射線の合わせ技(化学療法)を行う予定でいました。また、入院しての放射線治療の予定でした。この入院の目的は、放射線治療を中断なく完走する事で、痛みなどによる放射線治療からの離脱の可能性を低くするためです。
3月16日(水)
放射線治療のためのデータ取りや、マスク(放射線を決まった位置に照射するための固定具)の作成を行いました。
このような感じのマスクを作成しました。
(東洋メディック株式会社 Type-S 放射線治療用ヘッドネックショルダシステム)
今後の治療について、先生から「耳鼻咽喉科の先生とも協議した結果、手術で原発巣は摘出できているので、根治を目的とした放射線治療のみで抗癌剤は併用しないでいきます」との説明を受けました。正直、抗癌剤を使わないと聞いてホッとしました。義母が抗癌剤の影響での激やせ+超体力消耗と言う状態を見ていたので、体力的に楽になる!と思いました。
また、入院が嫌だったので(コロナ禍なので面会・外出・外泊・建物外の散歩など、外界とは一切遮断の状態)、通院(外来)しながらの放射線治療をお願いしました。先生からは「難しいと思いますよ~ 辛くなったら入院してくださいね」と言われました。後に、先生の言った通りになるのですが・・・
(予定線量 66By, 予定回数 33回)
第一回目の放射線治療を行いました。治療時間は15分程度(位置合わせの時間などを含みます)で時間はかからないのですが、上記の固定用マスクの下に、コロナ禍なので不織布マスクを付けているので、治療中に呼吸がしずらいという事がありました。
(照射位置の説明を受けた際の画像)
この日、口腔外科でも診察を受け、悪化している虫歯2本を抜糸しました。これは「放射性下顎骨壊死」を起こさないためのものです。
皮膚炎の対策は?
照射部にあたる皮膚が炎症を起こしてしまうとのことで、「ソープを肌の上に1分ほど置いてからこすらずに流す」「ひたすら保湿ジェルを塗る」を行っていました。
左:ノブ フォーミングソープ D, 右:コラージュDメディパワー保湿ジェル
そのおかげで、若干の赤身は出たものの痛みやヒリヒリ感が起きるまでには至らずに済みました。
口内炎の対策は?
・ひたすら歯間ブラシ + 歯磨き + ポイントブラシ + フロス + 舌ブラシで口腔内を清潔にしておく。
・1日に3~5回程度「アズノールうがい液」でうがいをする。
・うがいの後「アズノール軟膏」口内炎が起きそうな場所にガッツリ塗り込む。
・1日3回(食前 30分以上前)、「半夏瀉心湯」でのうがいする。
「半夏瀉心湯」は中々溶けにくいので、私は小さなペットボトルに半夏瀉心湯を入れて水を入れてシェイク~ 1分ほどで綺麗に溶けます。
「半夏瀉心湯」でのうがいは、12回目の照射後から開始しました。この時点でほぼ味覚がなかったので、味はよく分かりませんでした。ちなみに、この漢方薬は強烈にマズイと聞いていましたので、試しに2023/02/05に溶かして味を確認したところ(味覚はだいぶ戻っている時)、本気で吐き出したくなるほど不味かったです。
私は、この「半夏瀉心湯」でうがいをした後、そのまま口の中で1分以上浸し、そのまま飲み込んでいました(口内炎が嫌だったので、飲み込むのが気持ち悪いと言っていられず)。
これらの「口内炎対策」+「途中から入院して栄養状態が担保された」ことによるものなのか、口内炎はほぼ発生することもなく助かりました。
頭頸部がんの支持療法における漢方薬の使い方
難治性)口内炎 × 半夏瀉心湯[漢方スッキリ方程式(5)]
朝、急激な目眩とフラつき、強烈な倦怠感に急に襲われました。そのため、その日の放射線治療後に先生に相談し、入院しての治療の継続をお願いしました。
入院。この時、車いすでないとフラついてヤバい状態になっていました。点滴による治療を15日, 16日と行っていただき、フラつかずに歩けるようになりました。
変な表現になりますが、入院したおかげで「栄養士さんによる栄養およびカロリーの管理」 「薬剤師さんによる服薬と味覚障害の相談と対策」「看護師さんによる諸々のチェック」「問診による日々の体調変化への対応」などを非常にスムーズに行っていただけたことで、放射線治療に伴う皮膚炎や口内炎の回避につながったと思っています。
退院
5月13日(金)
朝、33回目(最後)の放射線治療を受けて、その後に退院!
いつ味覚が変になった?
4月1日(金)に5回目の放射線治療を受けた後、4月3日(日)の夜に突然、塩/醤油/味噌の味がしなくなりました。その後、10回目後の4月9日(土)には、ほぼ完全に味覚が消えました。
味覚はいつ戻る?
放射線治療の影響で、鏡で舌を見ると"味蕾"がないツルっとした状態でした。
5月13日が最終照射日で、次の日から「DHCの亜鉛」を飲み始めました(気持ちの問題)。微かに甘みを感じるようになったのが16日後の5月30日(月)。
68日後の7月21日(木)、やっと塩味を感じるようになりました。この後から、徐々に色々な味を楽しめるようになっていきますが、食事中でも唾液の出が悪いので、最初は味を感じるけど、半ばぐらいからは味がしない状態が9月上旬まで続きました。
現在は既に最後の放射線治療を受けてから260日(約8カ月) 、手術前を100%とすると、まだ70%ぐらいの戻り感です。ただ、食事の前半は90%ぐらいは分かるので、十分に食事は楽しめています!
ちなみに味の好みが変わってしまいました。手術前は塩気の強いナッツ類が大好きでしたが、いまは完全に甘いもの好きになっています。
2023/09/05 追記 その2
まだ味覚が100% 戻ったとは言えないのですが、下にあるようなちょっと刺激アリ系も繊細系も、どちらも美味しくいただけています。
治療中・治療後で味覚が戻らず戦い続けている方、本当に応援しています!
食事 = 修行の非常に状態と思います。でも徐々にでも味覚は戻ってくるようです。頑張って下さい!